自転車の昔話

昔話といってもヴィンテージとかの話ではなく自分の昔話。

私自身自転車に興味を持ち始めたのはまだ2年にもみたない...

自分を振り返っても自転車に興味を持ったりしたのはほとんど無く、中学生の時に多分流行りだと思うのだがそれに釣られるようにして”赤いドロップハンドル”を買ってもらって乗っていたのはしっかり覚えている。ハンドルバーにおそろいの赤いバッグを付けて。それが何処のメーカのものなどほとんど記憶がない。赤いドロップハンドルしか記憶にない。中学の卒業の想い出にと仲間で富津岬までサイクリングで行った。ダンプの横を走って怖かった想い出は今でもしっかり覚えてる。往復60km。あの頃ではちょっとした冒険だった...

なんて話を2月に日本で旧友に再会した時にしてみた。すると、その友人はスーパーカーライトの自転車の話を記憶の底から引っ張り出してきた。スーパーカーライトは覚えている。かっこいいとは思ったことがなかったのであったことだけ、記憶にある。ところがその友人は憧れていたらしくその当時の憧れていた自転車の話を始めた。

 

 ひとつはシフトレバーが車のようにHがたでスーパーカーシフトと呼ばれていたそうだ。それは電動でギアが変わったとか。電動のギアチェンジがその当時に子供用として市販されていたのなんて知らない!レースの世界ではここ数年の話ではないか!

 

 それと、ペダルを漕ぐ足を止めてもギアが変わるシステムを持ったものまであったらしい。でこれは物理的にペダルを漕ぐのを止めればギアは変わらないのでありえない、あるとすればチェーンリング側にフリーがあるのか!?その後すぐにホテルでネットで検索...フロントにフリーなんてあったんだ。仕組みは知らないけどそれはそれでいつでもギアが変えられるので便利そうだけど、今では聞かない。

そんな時代にいながら全くそれを体験しなかった自分の人生を、なんて無駄に過ごしてきたのだと後悔したのであった。

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コメント: 3
  • #1

    バカボン (金曜日, 06 4月 2012 22:51)

    僕の場合は、何故か、小学一年生の頃には、すでに鳥山新一著のサイクリング入門の三点調整法なるものを読んで、自転車のサドルとハンドル位置を模索していました。

    まだ、力が入らないので、ナットやボルトが緩まない、緩んだら締められないので、一時間位掛かって、緩めて、高さを変えたら、夜に父が帰宅すると、締め増しして貰い、そこから、おもむろに乾電池のライトを付けて、フィーリングを確かめるというのが、週化でした。

    だから、子供だけれど、夜遊びしていた。
    それで、電気にも興味を持ち、当時、豆電球なので、すぐ暗くなる。
    照射している光の影が気にいらないから、自分でリフレクターを作ろうとする。
    並列だ、直列だ、とやっている内に、エバレディというのが、ナショナルより良さそうだとか、色々やっていて、この頃には、すでにライトの改造だとか、暗いから、電池を増やして過電流ですぐに球切れ覚悟で乗っているとか、黄色くしてフォグ・ランプだ!!と、何か、今と変わらない。

    止せばいーのに、家のモーター分解して家電製品動かなくしちゃうとか、感電しちゃうとか。
    親が見かねて、アメ横で安い腕時計を買って来て、これでも分解してろ!!と、あてがわれる程でした。

    そんな事ばかりやっていて、他を置き去りにしてきて、なんて無駄に過ごしてきたのだと後悔しています。

  • #2

    cycle-shooting (金曜日, 06 4月 2012 23:03)

    皆さんそれなりにあれこれやってオトナになってきたんですね。親父がよく会社から要らなくなった電気器具を持って帰ってきてくれてそれを分解したりはしてましたけどね...

  • #3

    バカボン (金曜日, 06 4月 2012 23:09)

    書いていて思い出したんだけど、既に、スタンドと泥除けを外して、フレームに入っているシートピラーとかが無駄だ!!と思い付き、どうせ背が伸びないのだから、これも特権だと、金のこで切っちゃうとかもしていたなあ。
    そういう子だったので、フラッシャーとかには、興味が無かったです。

    学校から帰ってくると、一人で黙々と自転車と格闘していて、暗くなると、当時、裸電球の街灯の下で作業して「見えねーな!!」なんて、小学校低学年のチビがやっているのだから、滑稽ですね。
    まだ、土の道でしたから、ワッシャーを落として、脚で踏んづけると、埋まって判らなくなっちゃう。
    暗いし、土だから茶色で、余計判らない。
    それで、懐中電灯というか、愛用の高輝度自転車ライトで、半べそかきながら、半時間も探す。
    その時にやらないと、明日だと、判らなくなっちゃうから、夕飯食べると、また探すとか・・・
    親からすると、また、外に出て行って、気違いか?と思った事でしょう。
    今考えても、愚かだし無駄な雑作業で、ほとほと自分が嫌になります。